なぜ、坂道グループがアイドル市場を寡占しているのか?
今回は、日本のアイドルについて語りたいと思います。日本には数え切れないほどのアイドルグループが存在します。
その中でも、人気を博しているのは坂道グループでしょう。昨年の紅白歌合戦では、日向坂46が初出場を果たしました。メディアに露出してテレビで見る機会も増えています。
その裏で、地道に活動して着々と実力をつけているアイドルもいます。私が好きな私立恵比寿中学もそうです。
そんな中で、地道に活動をするアイドルが、口を揃えて言う二大目標があります。それは…
『いつか武道館でライブをしたい』
『紅白歌合戦に出場したい』
です。音楽を提供する方々であれば、誰もが夢見る場所であるのは言うまでもないでしょう。
話を戻すと、アイドルに紅白歌合戦で与えられる枠は、3.4枠しかありません。年末の出場者発表が近づくと、アイドルグループと日頃から凄まじい熱気で応援するオタクはきりきりします。何故か、『今年こそは△△は出れるはず』という期待を胸に膨らませているからです。
出場が決まれば、オタクはこれまで応援してきた甲斐があったと感慨深く思うのではないでしょうか。その瞬間をアイドルのメンバーと共に立ち会う為に。
しかし、出場が叶わなかった時に坂道グループ以外の方からは、腑に落ちないという意味で
『歌唱力なら絶対に坂道グループに負けていないのに、何で出場できないんだろう』
『もっと世間に評価されてもいいグループ』
というようなコメントを見かけます。
前段はこれまでとし、坂道グループの人気の秘訣はどこにあるのかを考察します。断片的な理由ですが、お付き合い下さい。
(*容姿やスタイル等の外面の要因を除くとする)
①抒情詩のような歌詞が胸に響く。
坂道グループの楽曲の作詞は、秋元先生が全て担っています。私の見解ですが、他のアイドルの楽曲と比べて、詩を朗読された後のように、聴き入ってしまう類の歌詞である。それと共に、誰もが一度は経験したことのある光景や気持ちを綴っている。そして、一曲の中に【私たちが感じる切迫した想いを肩代わりして吐露している】かのような歌詞がある。だから、立て続けに言葉が途切れず、息つく間もない曲が多いのではないか。間奏を長く設けて小休止させるのではなく、曲の終わりに盛大な余韻を味わせる為に間奏を冗長にしないのだ、と考えます。
惹かれる特徴として『この想いを誰かに伝えなきゃ』という使命感が曲により程度は違えどある。それが男女問わず虜にする要因の一つだと思います。
対して、属さないグループの曲は、深く意味を解釈する余地があまり無く、歌い手のアイドルの感情が直に伝わってくる。意味を解釈できる歌詞もあるにはあるが、グループの曲全てという訳ではない。
もう一つ感じられるのは、『女の子がカラオケで歌えない曲が大半を占める』という点だ。男でもとりわけ大きなお友達(サラリーマンアイドルオタクの呼称)を熱狂させコールを連想させるような曲が多い。だから、どうしても大衆向けではないと一掃されてしまう傾向にある。『女の子がファンとして入る余地があるし、女の子でも応援していて恥ずかしくない』というような歌詞になっていない。
(*坂道グループの楽曲は、秋元さんが全て作詞しているから統一性があるのは当然かもしれないが、またそこが強みかと)
②サビ(曲の山場)のメロディがリフレインする。
坂道グループ以外の楽曲も聴きますが、サビが頭にこびりつく(所謂、イヤーワーム)のは、何故か坂道グループの曲ばかりです。
音楽の素養がない為、体感でしかないですが、秋元さんが手がける楽曲ではらサビで疑問を訴えたり、未来の自分に向けてのメッセージであったり、過去の自分から脱却を促したり、現在を素直に楽しむような歌詞である等が見受けられます。曲が盛り上がるサビにこれらを託すことで考えを巡らせる動機になり、かつ、私たちか抱くであろう想いを反映している。従って、繰り返し聴きたくなるのだと考える。
対して、属さないグループの曲は、メロディが乱雑であったり、強調している箇所が分かりづらかったりする。可愛さを誇張し過ぎているとでも言えばよいだろうか。全面に可愛さを出すようなPVが多すぎるように思う。却って、アイドルに興味が全くない友達には広めづらいのではないかと考えた。
このように、歌詞とメロディ(PVの演出も含めた総評)の二要素だけでも人気の理由が見えてくる。好きな気持ちを押し殺して客観的にアイドルを見直して初めて分かる発見もある。
次回のブログでは、またアイドルについて語りたいと思う。